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投稿日:2018-06-03 府中 朝カフェの会

5/30 第249回府中朝カフェの会は、伊豆下田東急ホテル宿泊のシェア。

本日の府中朝カフェの会は、5/29-5/30 伊豆下田東急ホテル宿泊のシェアが有りました。

・東急ホテルは、オーシャンビューで最上階、直下の庭と小さな湾を部屋の窓から望める。 ・夕食は、洋食で和牛ステーキと金目鯛、朝食は、和洋食のバイキング。0.5合炊きたてのご飯にびっくり。 ・翌日の昼食は、ロープウェイの土産物売り場のお姉さんに紹介して貰った、和食ごろさやへ。期待に違わず満足。 ・昼食後のコーヒーは、ごろさやで紹介して貰った、邪宗門へ。ウィンナコーヒーが美味しかった。
府中朝カフェの会で、これからも閑散期のリゾートホテル訪問をしていきたいです。

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貧困のハローワーク
「最初の店は自動車とか機械関連の大きな工場がいくつもある地域の近くに有ったんですね。
そういう所で働いている期間工とか派遣工の人が多かったですね。会社によって給料日が違うでしょ。
毎月10日、15日、25日は盛況で1日5人位の指名が入った事も有りました。
でも派遣先の大企業のホワイトカラーと思う人は絶対に居なかった。
こういう商売をしていると顔つきや服装、言葉遣いでどういう人か判る様になりましたね。
ほぼ毎週末に通ってくる常連客が何人か居て、お金を落としてくれるのは有り難かったが、
そんなに稼いでいる訳じゃないんだから、風俗なんかで使わないで貯金しなさいよ、と思った事も有る。
こういう人達って言う事が大きいんです。
俺はいつまでも派遣なんかやっている人間じゃないぜとか、
いつか周りの奴等が注目する様な事をやるなんて夢みたいな事を言っていましたよ。
その人達の事? 分からないですね。その後は、派遣切りとか有った時に一斉に居なくなってそれっきりですね。
きっと今でもあちこちの工場を渡り歩いているでしょ。」
増田明利

最悪の将軍
「しかしこうして歩けば、吉保は何も変わらなかった。いかほど出世を極めても凋落を噂されても、粛然としている。
そのいずれも、本人が望んで画策した事ではないからだ。
ゆえに、綱吉はこの家臣を引き立てたのだろうと信子は思う。
本流ではない、異端の我が身を重ねて吉保を高位に引き上げたのだと見る向きは、昔からあった。
いや、衆道の間柄ゆえの贔屓だ、いや、己の権力でもって新興大名を創り上げ、
旧来の勢力を抑えに掛かったのだという見方もあった。
どれが真であるのか、信子には分からぬままだ。
ただ、綱吉は心地良かったのだろうと思う。
若い頃から、ほんに変わらぬ男なのだ。吉保が傍に居ると、何とも言えず気持ちが落ち着く。
そして吉保は綱吉を喪った今、もう誰にも仕えたくないのだろうと思った。
綱吉の政は、驚く程早く終焉を迎えた。死後十日も経たぬうちに、生類に関わる数多の令についての撤回、
あるいは停止が通達されたのだ。
生類の保護の為に江戸の町人に賦課していた入用金は取り止め、生類の件についての訴訟も無用とし、
それぞれの場に応じて計らうよう触れが出された。代替わりに際しての混乱をも避ける為、
綱吉の生前の意志、温情によって自ら施策を緩和したという形が取られたのである。」
朝井まかて

噓だらけの日韓近現代史
「問題は、朝鮮半島です。コンプレックスを抱きようが無い相手なのです。
韓国は、イアンフだの、靖国だの、教科書だの、と歴史問題が持ち上がる度に、
日帝支配36年、公式な謝罪と賠償を要求する、と因縁を付けてきますが、日本は韓国とも北朝鮮とも戦っていません。
むしろ、アメリカや中国と戦っていた仲間なのですが、日本が負けた途端に裏切って、
略奪や婦女暴行の限りを尽くしたのが当時の朝鮮人でした。
こうした基本的な事実も知らずに、相手があそこまで言うのだから、
ここは譲って、とやるから、ますます話がこじれるのです。
戦争に負けた訳ではないのでコンプレックスを抱きようが無いのは理の当然なのですが、
事ある毎に挑発されては、日本人としても、いい加減にしろよ、と言いたくなるものです。
しかし、負けた訳ではないし、本気になって喧嘩をしたら間違い無く勝ってしまう相手を全力で叩くというのも、
また気が引けるものです。どうもやりにくい。
要するに、韓国人は、人間・失格の人達です。人間・失格の人達を相手にする本を書くのは、何となく気が乗らない。
しかし、知っておかねばならない事実というものがありますから、敢えて、そういう言い方をしましょう。」
倉山満

更に、盛り上げますよ~。