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投稿日:2018-04-26 府中 朝カフェの会

4/25 第239回府中朝カフェの会は、プラッツの施設に関するシェアが。

本日の府中朝カフェの会は、プラッツの施設に関するシェアが有りました。

・プラッツは、府中駅南口にあるビルの5Fと6Fを府中市が購入し八王子のNPOに運営委託している施設。
・登録団体は、無料で3時間単位で登録団体ミーティングスペースを利用出来る。
・ミーティングスペースは、6名から10名まで対応可能で、間仕切りやホワイトボードを無料で使える。
・電源も使えるので、テーブルでプレゼンテーションも出来る。
・無料で使うだけでは、プラッツの経営は潤わないので、有料の会議室をどんどん活用したい。

府中朝カフェの会でも、会の運営の分科会化と会議室有料利用をしていきたいです。

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エロス身体論
「この奇妙な二重性の意識は、その時々の性関係の当事者か、
そうでないかという実際上の違いの場面で最も端的にどちらかの形に分別されて表れる。
当事者にとっては、素晴らしいものが、そこに居合わせてしまった非当事者にとっては、いやらしいものなのである。
例えば、性交している二人の姿に触れてしまったり、その声を聞いてしまった者にとっては、
自分もまたその場面によって性的な欲望をかき立てられる様な気分にならない限りは、
いやらしいものに触れたという感覚から逃れられない事になる。
しかし人間は皆、性に対するこの二重の意識を持っているので、どちらか一方だけにいつも限定されると言う事はなく、
自分が当事者になるか、当事者である状態に想像的に身を置けば、
素晴らしいものとして感受するあり方も逃れられないのである。
更にこの二重の意識は、単純に使い分けられるばかりでなく、いやらしいからこそ、
益々素晴らしいものだという感覚を形成する事もある。
色好みとか、スケベとか、エッチといった言葉は、こういう複雑なニュアンスを繰り込んで作られている。
また例えば、取り澄ました上流婦人が、実は陰で売春をやっていたといった話題が殊更、人の興味関心を呼び起こすのは、
性的である事と無縁な筈の社会的身体が、同時に極めて性的な身体でもあったという落差に興奮しているのであって、
そこに醸し出される感情は、単なる道徳的な嫌悪ではない。
寧ろ、有ってはならない、いやらしい状態だという禁止感情を通して返って刺激される、一種の性的な発情なのである。」
小浜逸郎

江戸の備忘録
「秀吉が側室達に宛てた書状は、とにかく、いやらしい。
秀吉の書状を授業で使おうと思うのだけれど、学生の教育上如何なものか、と思われるものが多くて困る。
なかでも、当時、絶世の美女と謳われた側室・松の丸殿に宛てた秀吉の書状はいやらしい。
松の丸殿は近江の名門・京極家の姫君。秀吉は気品あるこの女性に憧れ、明智光秀に一味したという理由で、
その夫を成敗して、自分のものにした。これだけでも十分、人倫にもとるが、
更に秀吉はこの美しい女性と一緒に風呂に入り、悦に入っていた。
秀吉が側室に宛てた艶書は随分と残っていて読み飽きない。
一通り読んでみたいと思われる方は、ちょっとした大きな図書館から、
渡辺世祐著、豊太閤の私的生活を取り寄せて読みまれると良い。
戦前の本だが、秀吉の手紙をやさしく解説している。兎に角、秀吉は女性に見境が無い。
盟友・前田利家の娘おまあが、可愛い子で、先頃、許婚が討死したと聞くと、
たちまち、側室にしてしまった。おまあ14歳、秀吉49歳の時である。」
磯田道史

日本史 汚名返上-悪人たちの真実
「しかしここで一番言いたいのは、
そういう彼等が自分の専門外の分野の専門家の意見を全然聞こうともしていない、という事実です。
例えば私は、逆説の日本史で平安京は怨霊から朝廷を守るシステムだと定義付けしました。
最近はこれを前提として様々な小説や映画が発表されていますが、少なくともそれを大々的に主張したのは私が最初です。
というのは日本史の専門家はそうは認めていなかったからです。
勿論、私はそういう専門家の意見が、自分と反対だから単純にダメだと言っているのではありません。
しかし怨霊信仰は、日本史の問題であると同時に宗教問題です。
あるいはその呪術的側面を捉えれば民俗学の問題でもあります。
ならば彼等も専門家の意見を聞き十分に尊重し、その上で判断すべきでしょう。
ところが彼等の多くは全くそういう知的作業をしていません。
また、織田信長の虐殺行為は異常心理のなせる業である等と書いている日本史の専門家も居ますが、
では彼等は異常心理とは何か、それがどの様に作用するのか、
という様な事について専門家である心理学者の意見を聞いた事が有るでしょうか。私は、無いと思います。」
井沢元彦/和田秀樹

更に、盛り上げますよ~。